野球のお話し
小学4年生から中学3年まで野球に没頭しました。
その頃の野球チームはスパルタが普通で、今は禁止のうさぎとびはやらされるは、
炎天下の練習中にも疲れるからといって水分補給は禁止という
今では考えられないような軍隊のような訓練でした。
しかも、練習の休みは正月3ヶ日位で後は来る日も来る日も
ひたすら練習でした。
そのおかげで、小学校では県大会準優勝の成績を収める事が出来ました。
中学に入るとさらにヒートアップ!
当時は野球の全盛時でもあって、部員は120名の大所帯でした。
中学の練習はさらに厳しく、朝連・放課後連、休日は一日中練習と
ほぼ体力の全てを野球に費やしました。
そのおかげもあって、県大会で優勝して中部日本選手権の決勝戦まで進んで
中日球場での試合はCBCテレビ(愛知県)で放映されました。
試合は当時の中京中学(廃校)に惜敗して準優勝でしたが良い思い出です。
でもその少年時代の厳しい練習は今までの人生に大変役立っています。
本当に倒れそうな位い走らされて、走りながら涙を流した事も何度もありました。
夏場は誰かは倒れて木陰で休んでいました。
でも、そんな辛い練習を耐えてこそ本番の試合に勝つ事が出来る!
自分に負けない気持ちを持つ事が出来る!
忍耐強さや我慢を学びました。
しかしながら自分は高校生になるとあっさり野球から身をひきました。
ベンチ入り15名の中で高校で野球をしなかったのは自分だけです。
もちろん野球部からも勧誘はされましたが、8番センター荻原君では
その先に高校野球をしてもプロになんかいける素質もないし・・・
と以外に冷静に自分を分析して、あとはもう5分刈りだけは勘弁して下さい
の気持ちですっぱりやめました。(ある意味野球に燃え尽きました)そんなレベルなのです。
でも中学時代のベンチ入りのメンバーは全員高校野球に進み皆レギュラーで活躍です。
その中でもバッテリーの二人はあらゆる高校からスカウトされて結局、県立岐阜商業に進学
しました。1年生からレギュラーでしかも3.4番を打つ主軸選手として活躍しました。
自分もチームメートとして必ずこの二人はプロに行ってスター選手になるものと信じていました。
ところが名門岐阜商業の3年間で一度も甲子園の土を踏めずに、その後も大学野球で
活躍しましたが、ついにはプロへも行けませんでした。
ですから、プロ野球選手はなるだけでも大変で、おそらく地元のスター選手でも
やっとプロに入っても活躍できずにいる人がたくさんいるでしょう。
イチローやダルビッシュやマー君(田中投手)は本当に並はずれた素質をもって
その上に努力を重ねて今の位置を掴み取った事でしょう。
比べるのがおかしいですが、しかし確かに少年時代の彼らは私には絶対に
プロ野球選手になれると思わせる位に間違いなく凄い選手でした。
色んな思い出がある野球少年時代ですが、自分に精神的な強さ、チームワーク、
先輩後輩の上下関係等様々な教訓を頂きました。
もう何十年もグラブを持ってないですが、キャッチボールでも久しぶりに
してみたいとふと思いました。
グランドに思いをこめた夏の日々