1992年8月16日、甲子園球場でその事件は発生しました。
皆さんも記憶にあるとおもいますが、星稜高校対明徳学園の試合で
それは起きてしまいました。
何と超スラッガーの松井選手が前代未聞の5打席連続敬遠をされてしまい
試合も優勝候補だった星稜高校が敗退してしまったのです。
試合終了するやいなや、高校野球では考えられない罵声や、ペットボトル
などのグランドへの投げ込みで球場は騒然としてしまいました。
自分もその試合を見て、何て明徳学園は卑怯な手を使うのか?
正々堂々と勝負しないのかと思いました。
しかしながら監督の立場でこの事を考えると、日々の厳しい練習に
耐えてやっと甲子園に出場でき、どうしてもこの試合に勝ちたいと
思えば、考えられる作戦なのです。
何もルール違反などしていないのです。
あるプロ野球の監督はそんな事は当然だとの見解を示していました。
温情的に考慮すれば当然高校野球でもあるし、正々堂々の道徳心に
基づいて勝負すべきという意見もあるでしょう。
しかし勝負なのです。勝つ為の作戦としては有効な手段だったのです。
決して卑怯な手ではないのです。
しかし、もう一方でそのことによって、星稜高校の選手達、しかも松井秀喜選手以外
が大きな傷を負ってしまい、後の人生に多大な影響を与えてしまいました。
そうです、物語の主人公は松井選手ではなくその他の選手だったのです。
その事をフォーカスしたのはあまりない事だと思います。
特にに松井選手の後のバッターのプレッシャーは考えても余りあると思います。
5度も敬遠されて(そのうち1度はランナーなし)その後のバッターは
何がなんでも打たなくてはいけない状況でした。
彼のその後の人生に関しては、甲子園に行くんじゃなかったとか、二度とその事に
関しては話さないというような悲しくて、閉鎖的な感情でくみ取れる程に
しばらくその事を尾にひきづっていました。
誰のせいでもなく勝負に翻弄された青春時代を過ごして屈折してしまったのです。
それでも物語の主人公の松井選手だけがスーパースターの階段を
駆け上がったのです。
その彼が言った一言!
”夢を実現するには好きだと思える事からは逃げない”
物語の主人公だけは逃げなかった。
勝負に負けても逃げなかった。
それ以外の人たちはある意味逃げてしまった。
現実から・・・。野球から・・・。
好きだと皆が思ってた野球から。
松井選手は多角的に物事を見てたのではないでしょうか?
それが今もメジャーリーガーとして活躍する一つの要因です。
その松井選手が、今や逆の立場になっています。
ヤンキースでは、A・ロドリゲスの次のバッターの為に、敬遠されてしまい
松井との勝負を選択されてしまします。
しかし彼はそのことを当然ですよ、自分が相手のピッチャーだったらそうします。
と何の躊躇もなく話しています。
器の大きさを象徴しています。
そして、当時明徳高校の監督でバッシングを浴びた馬淵監督は選手にこう言ってます。
君たちは何も恥ずべき事はない!胸をはって今後の人生を過ごしなさい!と
自分も信念で戦った、決して逃げていない!と
リーダーのあるべき姿だと思います。
彼は甲子園を目指す選手にこう言いました。
”自由は奪いますが、夢は与えます”
最後に、情熱は自分を動かす! そして周りをも動かす!
一元的に物事を見ないで、多角的に本質を洞察する事が
とても重要な事であると再認識しました。
そしてその裏側には熱い信念と情熱が必ず存在するのです。
中村計著 甲子園が割れた日
松井秀喜5連続敬遠の真実 新潮社文庫

2011/09/21 (水) 09:24 | カテゴリー : ブログ | コメント (2)